僕の生い立ちと家族を振り返ってみる【お家編】
もくじ
ゴルゴ(?)13回目
令和3年5月突如始まった
自分の生い立ちと
家族を振り返るブログ。
第1回目のブログ。
前回(11回目)のブログ。
もう月の1/3をこのネタか…💦
今回でゴルゴ(?)13回目。
やがて半月もこうやって
過去のことを思い出しながら
(しかも嫌な思い出ばかり…笑)
書いていると
多少心身ともに疲れてきたんだけど
最後まで書くと決めたから
もうちょい続ける。
(途中で中休み入れると
二度と戻って来なない気がして…
完全に片道切符)
僕のお家
僕の生い立ちを遡る中で
たぶん僕の人格形成に
大きく関わっていると
自分自身で推理していることがあり…
今日はその思い出を紹介。
私が物心ついた頃
3歳4歳の頃からかな
住んでいた家のこと。
家族4人で住んでいた家。
ちなみに今僕が家族と一緒に
住んでいる自宅のある場所に
20数年前まで建っていた
お家のこと。
とても小さなお家でした
木造平屋建て、
4畳半くらいの部屋が
4つくらいしか無かったかな
お風呂はなし、そしてトイレが
汲み取り式…
いわゆるボットン便所ね。
(でも小さなお庭があった)
土地で40坪、建坪で25坪ほどの
昭和20年代前半に建てられた
小さなお家でした
小学生くらいになって
僕も少しづつ自我が目覚めて
そして友達の家なんかに遊びにくと
否が応でも僕の家が貧相に見える。
殆どの友達の家は
2階建て、水洗便所
もちろんお風呂はある。
そこで当然に僕生まれた感情は
「劣等感」だった。
これは憧れのイメージ
お風呂へは2日に1回ほど近所の銭湯へ
自転車
そう言えば、
ワンパク坊主な小学生児童が、
元気に遊びまわるには
必須なアイテムとも言える
“自転車”。
それも、僕はなかなか
買って貰えなかったな。
友達と一緒に仲良く遊ぶには
絶対に必要な自転車。
ドラクエで言えば
“さいごのカギ”や
“不死鳥ラーミア”に値する。
何度も何度も
母親に買ってとせがんだが
なかなか首を縦に振って貰えない。
なので、
僕は友だちと外で遊ぶときは
友だち皆が自転車で移動する中、
自分の足で走って
必死にその友だちを
追いかけていたんだった。
惨めだったな。
そう言えば、冬に使う
手袋もなかなか買って貰えずに
手が凄くかじかんで
激痛が走るまで痛くなった
覚えもある。
幸い、お家のことや自転車のことで
友だちから虐められたりすることは
なかった。
(虐められたら僕から喧嘩売って
ボコっていたからね…笑)
でも、一度だけ上級生に
家にお風呂がないことで
悪口言われたときのことは
今でも忘れない。
しかも、
以前のブログで紹介した通り
両親の仲が悪かった時期もあるから
他人と自分を比較するような
悪い癖を持っている僕の
劣等感と言ったらなかった。
トラウマはその先に
こういう話をすると
「苦労したんだね…」
みたいなことを
言われたりするけど
僕のトラウマ(?)
になっているのは
そんなことじゃない。
実はその先にあったんだ…
次回につづく。
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