四季が織りなす情緒を忘れるくらいなら…
もくじ
前回のつづき
さて、前回のブログでは
私は毎年、
春に桜を観ることなど
四季が織りなす情緒を
感じることを楽しみにしていること
そして、そのようになったのは
30歳代も中盤に差し掛かった頃
だったことをご案内しました。
では、なぜ私がそれまで
そのような四季の風情に
興味を持てなかったのか…?
今日のブログでは
そのことについて書きます。
忙殺されていた
若く未熟だからゆえの
新しいものへの憧れと
古きものへの嫌悪感が
あったのは確か
ただし一番の理由は
仕事に忙殺されていたこと…
全てが「忙しい」という
この言葉に集約される。
毎日毎日が同じ仕事の繰り返し
度重なるサービス残業
とくにモチベーションが
上がることもない上司からの適当な指示
それに抗うことなんてない同僚
ただただ忙しい仕事を、
一日一日こなしていく日々
やっと疲れて帰った自宅では
眠りにつくだけ
休みの日は
体力と気力の回復のため
怠惰に過ごすことに集中する。
そこで、
「たまには自然にかえって…」
とアクティブな考えになれば
もっと早く救われたのであろうが…
そんな日常を過ごしていると
嘘かと思われるかもしれないが
「今は○月○日」ということは
わかっていても
今は、春夏秋冬のどの季節?
ということさえ忘れてしまう。
そんな精神状態で
「今は桜が綺麗だから…」
とはならない。
自分の怠惰を
環境や人のせいにするには
よくないことぐらいは
わかっているつもりです。
ただ、それが私じゃなくとも
幼気な若者に
四季を感じる余裕さえ
失わさせてしまうような
環境をつくってしまう
仕事や企業は
いかがなものか?
至福
おかげ様で、昨日は
家族にもフラれることなく(笑)
遠出することはなかったけど
近所の公園に、満開の桜を
観に行くことができました。
あいにく、昨日の石川県は
冬のように寒く
オーバーが必要なくらいで
春を満喫するとまでは
いきませんでしたが…☻
愛する家族と
桜が咲き誇る公園で
戯れたこの時間は
私にとって
至福の時間でした。
私が何を言いたいか
私が、もしサラリーマンを
続けていたなら
昨日のような至福な時間を
得られなかったであろう…
こんな些細な時間でさえ。
満開の桜の樹の下で
「独立起業して良かった…」
と、心からそう思いました。
つまり、私が何を言いたいか…
日本人なのにもかかわらず
四季がもたらす情緒さえも
感じることを
忘れさせられるような
企業や会社の仕事は
自分を幸せにするための
ものなんかじゃ
決して“ない”。
もし、今のこの季節に
ほんの少しの時間でさえ
やすらかに
おだやかに
ほがらかに
にこやかに
そんな気持ちで
満開の桜を観る時間
に興味がない…
作れない…
と思うような貴方であれば
もう少し、
自分の“幸せ”について
考えてみるとよいのでないかと
思います。
残念ながら、今は令和2年4月
世間は終息をみない
コロナショックの真っ只中。
無責任に
「会社辞めちまえ!」
「行動しよう!」
「独立起業しよう!」
なんてはいう言葉を
慎むべきかも知れませんが
やはり、私は
そう思うのです。