レオン・スピンクスさんがご逝去…プロレス大好き少年だった私が想ったこと
令和3年2月7日のニュース
このブログを書いているのが
令和3年2月11日だから
数日前の話にはなるけど
Yahooニュースにも
私が行動している地方新聞にも
↓↓こちらニュースが
yahooニュースより引用
北陸中日新聞より
…と、ある
プロアスリートの
ご逝去の話題が。
なんつーんだろ。
こういう地方新聞にも
過去のアスリートご逝去の
話題がでるなんて
世界は思った以上に
平和なのかもしれないな…。
(ちょっと不謹慎かも…)
レオン・スピンクス
私と同世代の人で
幼い頃に少しでも
プロレスを観ていた人なら
知らない人はいないと思いますが
この度亡くなられたのは
元プロボクサーで
かのモハメド・アリさんと
戦ったり
日本でも異種格闘技戦でプロレスラーの
アントニオ猪木さんや大仁田厚さん
(どちらも国会議員経験者や…)
と戦ったこともある
レオン・スピンクスさん。
私は世代的にモハメド・アリさんとの
試合に関しては知りませんが
新聞でも紹介されていた
アントニオ猪木さんとの試合は
当時大の
プロレスファンだった
デミー少年(小5で10歳)
がTVにかじり付いて見た記憶がある…
※ただその試合はがっかりする程の
大凡戦だったのも鮮明に覚えている…
(ガッツ石松さんが特別レフェリーで…☻)
プロレスファンだった頃のデミー(中3、15歳)
あと、確か高校1年生の頃に
レオン・スピンクス選手は
大仁田厚さんらと一緒に
プロレス興行で金沢に来てたはず…
その時もしっかり観に行ったなぁ~☻
ちなみに、
↓↓こちらの私の自己紹介アニメでも
紹介しているけど
大のプロレス好きがこうじて
私が少年の頃に描いた
将来夢はプロレスラー
TVでやっていた
プロレスを本当に
食い入るように観てた少年時代。
本当懐かしいな☻
改めて
レオン・スピンクスさん
のご冥福をお祈りいたします。
私の夢
そんな私の懐かしい思い出
の話をもう少し…
中学3年生になっても私の
将来の夢はプロレスラー
で変わりなく
親と教師の三者面談の場でも
そう豪語してたっけ…
大人は呆れていたな…
自分の夢を親にも教師にも
応援して貰えないんだもん…
悲しかったな…
今となってみれば
大人の言いたいことも
分からない気もしないでもないが…
せめて、幼気な少年の夢を
全否定するのではなく…
まだまだ知らない職業が
たくさんあるから
いろいろな知識と経験を経てから
それで一番プロレスが好きだったら
プロレスラーになればいい。
とでもアドバイスして欲しかった。
結果として、プロレスラーに
なることはなく(挑戦することもなく)
その代わりに(?)
プロ格闘家を経て
今の行政書士という職業に
就いた訳ですけど
私が、独立起業支援・会社設立専門の
行政書士として活動しているのも
過去にそういった経験が
あったからなんだね。
私は〇〇になりたい!
と夢を口に出すと
安定志向の強いこの日本では
必ずそれを否定する
ドリームキラー
が現れる。
だったら、私は、
そんなドリームキラーを
逆に否定し
挑戦者の背中を
ガッツリ押してやる
そんな存在であろうと
決めました。
本当の失敗は
挑戦しないこと
どうか、みなさん
自分の気持ちに正直に。
挑戦したいことは
他人を気にせず
胸を張って挑戦しましょう。
不安や悩みがあるなら
どうか私にご相談ください。